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東京高等裁判所 平成7年(ネ)3986号 判決 1997年10月29日

控訴人

ワールド証券株式会社

右代表者代表取締役

金子與一郎

右訴訟代理人弁護士

堂野達也

堂野尚志

右訴訟復代理人弁護士

橋爪健一郎

被控訴人

岩田龍三郎

右訴訟代理人弁護士

原隆男

桜田英志

主文

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  右敗訴部分にかかる被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文と同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二  事案の概要

本件は、証券会社である控訴人の顧客であった被控訴人が、控訴人の従業員が被控訴人の口座(いわゆる借名口座)から払い戻した金員を被控訴人に引き渡さずに着服していたとして、受任者に対する受取物引渡請求権若しくは寄託物返還請求権又は民法七一五条による損害賠償請求権に基づき、右払い戻した金員から損失を控除した残金の引渡若しくは返還又は同相当額の損害賠償を求めた事案である。

一  基礎事実

1  控訴人は、有価証券の売買及び有価証券市場における売買取引委託の媒介、取次、代理等を営む会社であり、植木潤(以下「植木」という。)は、本件当時控訴人の従業員であり、法人部次長の肩書を持つ営業担当者であった。(争いがない。)

2  被控訴人は、医師であり、住所地で医院を開業する傍ら大学の講師等をしていた者であり、従前から数社の証券会社を通じて有価証券の取引を行っていたが、昭和四八年ころ、当時三洋証券株式会社に勤務していた植木の訪問外交を受けたことがきっかけで、植木の顧客としての関係が継続するようになり、植木が控訴人に勤務するようになった昭和五六年八月ころ、植木を通じて控訴人との間で有価証券の売買取引の受託契約を締結し、控訴人との取引が開始された。(原審被控訴人本人)

3  控訴人における被控訴人関係の取引口座として、被控訴人名義の取引口座(以下「被控訴人口座」という。)と被控訴人の妻岩田初子(以下「初子」という。)名義の取引口座(以下「初子口座」という。)が存在していたが、そのほかに本田十洋名義の取引口座(以下「本田口座」という。)と志摩真一名義の取引口座(以下「志摩口座」という。)があり、本田口座は昭和六二年三月二三日以降、志摩口座は同年六月六日以降、被控訴人の資金と計算による取引を行うための借名口座として使用されていた(以下、本田口座と志摩口座を一括して「本件借名口座」という。)。(争いがない。)

なお、本田十洋は植木の父が経営する会社の従業員であり、志摩真一は植木の知人である。(原審証人植木潤)

4  本件借名口座で原判決別表(一)ないし(四)記載の取引が行われ、その払戻欄記載の日に利益欄記載の金員の払戻しがされた(以下、これを一括して「本件払戻金」という。なお、本件払戻金の合計額は五六六四万六五七二円であり、これから本田口座の現物取引による損失二三万一一七〇円を控除した残金五六四一万五四〇二円が本件訴訟における被控訴人の請求金額である)。(争いがない。)

5  被控訴人は、平成二年八月から一〇月にかけて税務調査を受け、税務署から本件借名口座の取引による所得等の申告漏れを指摘されたため、平成二年一〇月三一日に雪谷税務署に昭和六一年分から平成元年分まで四年分の所得税の修正申告を行い、修正申告による本税、遅延税及び過少申告加算税の合計九五三九万九八〇〇円を納付した。右修正申告による雑所得の修正額は、昭和六二年分が七四四二万九五〇〇円、昭和六三年分が二六五七万三七四八円である。(甲第二、第三号証の各一ないし四、第四、第五号証、第六号証の一ないし八)

二  争点

1  被控訴人は、本件借名口座による取引は植木が被控訴人に無断で行っていたものであって、前記税務調査を受けるまで同口座の存在及び取引内容をまったく知らず、同口座から本件払戻金を受領したこともないとの事実を前提に、植木がした本件借名口座における取引が、被控訴人の黙示の同意によるものであり、仮に同意がなかったとしても昭和六三年に本件借名口座の手仕舞をした際に追認し、そうでないとしても平成五年七月二九日の原審第四回口頭弁論期日において追認したとして、控訴人に対し、主位的に受任者に対する受取物引渡請求権又は寄託物返還請求権に基づき右取引によって生じた利益の引渡を、予備的に植木が右取引の利益を着服したことを理由として、控訴人の使用者責任に基づき右利益相当額の損害賠償を求めている。

2  これに対し、控訴人は、本件借名口座は、被控訴人が脱税をするため植木に作らせた口座であり、被控訴人はその取引の内容を十分に知っており、本件払戻金もすべて受領している旨主張するほか、仮に右取引が被控訴人に無断でされたものとするなら、被控訴人がその利益を取得するために追認することは許されないし、被控訴人は、脱税のために植木をして本件借名口座の取引をさせていたのであるから、証券取引法六四条二項の悪意の顧客であり、植木の行為は控訴人の外務員としての代理権の範囲に属しないから右取引の効果は控訴人に帰属せず、仮に右取引による利益を植木が被控訴人に引き渡さなかったとしても、それは植木と被控訴人との間の問題であって、控訴人が使用者責任を負うことはない旨、さらには、被控訴人の主位的請求中の一部(昭和六三年二月二六日までに植木が本件借名口座から払い戻した二一九二万三四三九円)について、本訴提起まで五年を経過していることを理由として消滅時効を主張する。

3  右の主張の対立のうち、本件における主要な事実上の争点である本件借名口座の存在と同口座における取引を被控訴人が知っていたかどうか及び本件払戻金が被控訴人に引き渡されたかどうかの点についての当事者双方の主張は以下のとおりである。

(一) 本件借名口座の存在及びその口座において行われた証券取引を被控訴人が知っていたどうか。

(控訴人の主張)

(1) 本件借名口座における取引は、被控訴人の資金によってされており、その資金は、被控訴人口座及び株式会社三和銀行蒲田支店の被控訴人名義の預金口座(以下「三和銀行口座」という。)から出金されているところ、被控訴人口座から出金される場合は被控訴人の自署と届出印を押捺した領収証又は受領証が必要であり、三和銀行口座から出金される場合は被控訴人の銀行届出印が押捺された払戻請求書が必要であるが、本件ではいずれも被控訴人が右領収証、受領証又は払戻請求書を作成している。右方法による被控訴人口座からの出金は合計一四回で、合計金額は約二億四〇〇〇万円、三和銀行口座からの出金は合計一五回で、合計金額は約五億一四〇〇万円に達し、しかも、三和銀行口座からの出金の中にはその前提として三和銀行から借入をしているものが八件もある。

(2) 他方、本田口座から三和銀行口座には、小切手で七回にわたり合計約三億円が振り込まれている。本田口座からの出金の際には本田名義の領収証等を控訴人が受領するが、被控訴人名義の領収証等が作成されることはないから、被控訴人は、領収証等も発行しないで右約三億円の金員を受領していることになる。

(3) 右のとおり、被控訴人口座、三和銀行口座及び本件借名口座間の入出金は多数回にわたるが、これらについて、被控訴人が植木からなんらの取引の報告も受けず、植木の言うがままに現金や小切手等による入出金を繰り返していたということは考えられない。また、三和銀行口座からの出金の中には、同じ日に行われた金額の異なる二回の払戻が二通の小切手に組まれた後、その一方が被控訴人口座に、他方が本件借名口座にそれぞれ入金され、しかも、本件借名口座への入金額が同口座の信用取引担保保証金の残額と合算すると株の買付金額に一致するなど、被控訴人が借名口座の存在及び同口座における信用取引担保保証金の残高を知っていなければ説明できないものもある。

(4) 被控訴人口座及び本件借名口座間の株式の移動についても、被控訴人口座から出庫された株式が、その後本件借名口座に入庫して売却され、売却代金が三和銀行口座に入金されているものがあるが、被控訴人口座から株式が出庫される際には、被控訴人の署名押印のある受領証を控訴人に交付するか、控訴人が前に発行していた預り証に被控訴人が署名押印して控訴人に返戻しているから、被控訴人は、被控訴人口座からの株式の出庫を知っており、その後の三和銀行口座への売却代金入金により、右株式が本件借名口座で売却されたことを当然知っていたはずである。

(5) 控訴人は、被控訴人口座で取引が行われる都度、売買報告書を被控訴人宛に送付していた。本件借名口座の取引については、名義人である本田又は志摩に売買報告書が送付されるが、現金や株式の受渡の都度、植木が被控訴人に受渡計算書を提示していた。被控訴人は、右受渡計算書の提示を受けていない旨主張するが、被控訴人のように良識のある人物が、数十回に及ぶ本件借名口座の取引において、取引の内容をまったく確認せずに植木の言うままに現金及び小切手等の入出金を繰り返していたとは考えられない。

(6) 以上の点からすると、被控訴人が本件借名口座の存在及び取引内容について知らなかったとは到底考えられないのであり、そうであるからこそ、被控訴人は税務調査によって発覚した本件借名口座の取引による所得について、税務当局に非を認めて直ちに税金を納付したのである。なお、税務の実務では、脱税を認めて直ちに税金を納付すれば、過少申告加算税の賦課のみで済ませ、重加算税までは課せられないのが通常であるから、被控訴人に重加算税が課されていないことは、本件借名口座の取引を知らなかったことの根拠となるものではない。

(被控訴人の主張)

(1) 被控訴人は、本件借名口座の存在及び植木が本件借名口座を使用して取引をしていたことを、前記税務調査で指摘されるまでまったく知らなかった。

(2) 被控訴人口座又は三和銀行口座からの出金の際に、被控訴人が領収証等に署名押印していたことは事実であるが、被控訴人は、植木の説明を信用して被控訴人口座で行われた取引に関する代金又は保証金についての単なる事後処理程度の認識の下に署名押印してきたものである。右領収証等には日付と領収証等の番号が整合していなかったり、日付が現実の受渡日とかけ離れているものがあり、植木が後日一括してこれらの書類を被控訴人に作成させていたことを示している。

(3) 被控訴人は、取引の指示は自ら出すものの、その資金手当の詳細は植木から指示されるままに行っていた。したがって、控訴人が主張する小切手二通に分けて出金することなどは、もっぱら植木の指示によるものである。被控訴人は、当時、借名口座における売買報告書や顧客元帳を見たことはなかったから、同口座の保証金残高について知るはずはない。

(4) 三和銀行口座から本件借名口座に対する入金は、すべて現金又は小切手で行われているが、三和銀行口座から被控訴人口座への入金は現金のほかに振込送金によるものが多数あり、このことは、本件借名口座への資金の移動が植木によって被控訴人に無断でされていたことを示すものである。

(5) 被控訴人口座から株式が出庫され、被控訴人がこれを受領した後に、本件借名口座で右株式が売却されたとしても、被控訴人は、それが本件借名口座で売却されたことを知り得なかったのであるから、被控訴人口座と本件借名口座との間に株式の移動があるからといって、被控訴人が本件借名口座での取引を知っていたことにはならない。

(6) 仮に、被控訴人が本件借名口座における取引を知っていたとすれば、植木は、被控訴人口座と同様、被控訴人に右取引に関する領収証等に本田又は志摩名義での署名を求めたはずであるのに、本件借名口座の取引の領収証等を被控訴人が作成したことはまったくなく、すべて植木又はその部下等が署名していた。

(二) 本件払戻金が被控訴人に引き渡されたどうか。

(控訴人の主張)

(1) 被控訴人は、前記のとおり、本件借名口座で取引が行われていたことを知っていたから、そこで生じる利益について植木に確認し、これを受領していたはずである。植木とその長年の得意客であった被控訴人の関係からみても、植木が本件借名口座の利益を着服することなどは考えられない。

(2) 本件借名口座における取引は、被控訴人と植木が共同して脱税行為を行ったものであるから、利益金の受渡について被控訴人作成の領収証等がないのはむしろ当然である。被控訴人は、一〇〇〇万円以上の高額な利益金について領収証等に署名押印もせずに受領したことを認めながら、他方で、小口の本件払戻金について領収証等がないことを理由に受領を否認するのは論理的に矛盾している。また、本件払戻金と同程度の小口の金額を本件借名口座から受領したものについて、本件で請求していないものもあり、本件で請求する払戻金だけを受領してないとする理由が明らかでない。

(3) 本件払戻金の中には、受渡日前に出金されているものがあるが、これらは、信用取引担保保証金に余力があるので、そこから引き出したか、預り金を取り崩したものであり、何ら問題視すべきものではない。

(被控訴人の主張)

(1) 本件払戻金について、被控訴人がこれを受領したことを証する領収証等は存在していない。

(2) 植木は、被控訴人に無断で本件借名口座で信用取引や小口の現物取引を行い、そこで上げた利益をすぐに払い戻して懐に入れることを繰り返していたが、狡猾にも被控訴人が注文した正規の商いの一部を本件借名口座で行うことにより、万一本件借名口座の存在が発覚しても、無断売買、着服行為の存在の解明をしにくくしていた。したがって、本件払戻金以外の本件借名口座での取引による払戻金が被控訴人口座や三和銀行口座に入金されていたとしても、本件払戻金を被控訴人が受領したことの裏付けにはならない。

(3) 被控訴人は、信用取引で上げた利益はその都度一々引き出さず、保証金に組入れて次の信用取引の担保とするか、現物取引の代金の一部にしていたが、本件払戻金のうち信用取引分については、植木は、各取引の都度、それも多くは受領日前に引き出しており、被控訴人口座との異質性、異様性が顕著である。被控訴人は、本件借名口座から引き出された金員のうち、三和銀行口座及び被控訴人口座に入金されたもの並びに三和銀行の取引明細書によって被控訴人が受領していると判明したものを除き、さらに、慎重を期するため、小口の取引で受渡日を待たずにその都度引き出すなど明らかに被控訴人の取引の仕方と異なるもの及び引き出された金額と個々の証券取引との対応関係が解明されたもののみを本件で請求している。

第三  証拠

本件記録中の原審及び当審における証拠関係目録記載のとおりであるからこれを引用する。

第四  争点に対する判断

一  本件借名口座における取引の具体的態様

甲第一号証、第七ないし第一二号証、乙第一号証、第二号証の一ないし二二、第三号証の一ないし五、乙第四号証の一ないし一五、第五号証の一ないし二四、第六号証の一ないし一七、第七号証の一ないし八、第八号証の一ないし三、第九号証の一ないし七、第一〇号証、原審証人植木潤の証言並びに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

1  本件借名口座において行われた取引は、株式の現物取引及び信用取引であり、現物取引の場合は買付代金が、信用取引の場合は担保保証金が資金として必要であるが、その資金として、被控訴人口座より昭和六二年三月二三日から昭和六三年六月三〇日までの間に一四回にわたり合計二億四五〇三万四二八〇円、初子口座より昭和六二年八月六日に一〇〇〇万円、三和銀行口座より同年四月三〇日から昭和六三年七月二二日までの間に一五回にわたり合計五億一四一七万一九七九円が引き出され、ほぼ同額が本件借名口座に入金されている(なお、三和銀行口座から本件借名口座への入金は、振込送金ではなく、すべて現金又は小切手でされている。)。そして、右三和銀行口座から引き出された金員の全部又は一部が同銀行からの借入によっているものが八件ある。

2  被控訴人口座又は初子口座から右資金を出金する際には、被控訴人又は初子が署名し、届出印を押捺した領収証(乙第四号証の一ないし八)又は受領証(同号証の九ないし一五)が控訴人に交付されている。また、三和銀行口座から右資金を引き出す際には、被控訴人の届出印を押捺された払戻請求書が同銀行に提出され、その前提として同銀行から被控訴人が借入をしている場合は被控訴人による借入手続がされている。

3  右のようにして被控訴人口座、初子口座及び三和銀行口座から入金された資金により、本件借名口座で株式の現物取引及び信用取引が行われているが、取引によって生じた株式の売却代金及び信用取引の利益金は、本件払戻金のように現金で払い戻されたままになっているものもあるが、大部分は三和銀行口座に小切手で入金されており、昭和六二年六月一九日から同年一一月二五日までの間に七回にわたり合計三億〇〇七五万四八二四円が本田口座から引き出され、三和銀行口座に預け入れられている。この場合、本件借名口座からの出金については本田名義の領収証(乙第六号証の一、二、四、八)又は受領証(同号証の一一、一二、一四)が作成され、控訴人に保管されているが、被控訴人の領収書等は作成されていない。

なお、右のように本件借名口座からの出金や株式の出庫の際に必要な領収証等又は控訴人に回収される預り証は、植木又はその指示を受けた植木の部下が、本田又は志摩名義の署名押印をしていた。

4  本件借名口座と被控訴人口座等の関係及び本件借名口座における取引の態様を具体的にみると、次のとおりである。

(一) 被控訴人口座から、昭和六二年三月二三日に二〇〇〇万円、同年四月七日に一〇〇〇万円が引き出され、それぞれ本田口座に信用取引の担保保証金として入金された。被控訴人は、被控訴人口座からの右出金の際に領収証(乙第四号証の一、二)を作成しており、本田口座への右入金の際には本田名義の預り証(乙第五号証の一、二)が作成されている。また、三和銀行口座から、同年五月二五日に二五〇〇万円が払い戻され(甲一〇号証の二枚目)、本件借名口座に入金されている(乙第二号証の四)。そして、同日、被控訴人口座からの入金合計三〇〇〇万円のうち二三五一万六〇七二円、三和銀行口座からの右入金額及び本田口座における同年五月二〇日付け東京海上株式信用取引の利益金六一万二九二八円の合計四九一二万九〇〇〇円を資金として、松竹株式二万株が本田口座で買い付けられた(乙第二号証の四)。右買付について、本田名義の預り証(乙第五号証の四)が作成されている。その後、右松竹株式は、本田口座で同年六月一九日に売却され、売却代金六八六六万四七六〇円が小切手で本田口座から出金され(乙第二号証の四、第九号証の一)、三和銀行口座に全額入金されている(甲第一〇号証の二枚目)。

(二) 三和銀行口座から、昭和六二年九月三〇日に三八〇〇万一〇〇〇円と三二六七万〇九七九円の二口の金員が引き出され(甲第一〇号証の三枚目)、額面金額三八〇〇万円と三二六七万〇九七九円の二通の三和銀行振出の小切手に組まれた後、前者が被控訴人口座に、後者が本田口座にそれぞれ入金された(甲第一号証の六枚目、七号証の九枚目、乙第二号証の七、第八号証の三)。端数のある後者の入金は、当時の本田口座の信用取引担保保証金残高八八七万八六九七円と合わせて、東洋埠頭株式五万株の現引代金四一五四万九六七六円に充てられている(乙第二号証の九、第六号証の一〇)。

(三) 被控訴人口座で昭和六二年一〇月二六日に買い付けられた日本ステンレス株式一〇万株が、同年一一月五日に出庫され、その後同年一一月二五日に本田口座に入庫されて売却された(甲第七号証の一〇、一一枚目、乙第二号証の一〇、一一)。被控訴人口座からの右出庫の際には、買付の際に被控訴人に交付された右株式の預り証に被控訴人が署名捺印した上、控訴人に回収されている(乙第一〇号証)。本田口座での右株式の売却代金六七四六万九〇八五円は、内金五七〇〇万円が売却日に小切手により出金されて同日中に三和銀行口座に入金され(乙第九号証の六、甲第一〇号証の三枚目)、内金九九六万七五四三円が同日現金で被控訴人に引き渡されている(乙第六号証の一五、当審被控訴人本人)。右各金員を本田口座から出金する際には、本田名義の受領証(乙第六号証の一四、一五)が控訴人に交付されているが、被控訴人名義の領収書等は作成されていない。

5  被控訴人口座及び初子口座で行われた取引については、その都度売買報告書が被控訴人又は初子に宛てて送付され、本件借名口座で行われた取引については、売買報告書は名義人である本田又は志摩に宛てて送付されていた。

二  本件借名口座の存在及びその口座において行われた証券取引を被控訴人が知っていたかどうかについて

1  被控訴人は、原審及び当審における本人尋問において、本件借名口座が存在すること及びその口座で行われていた取引の内容を平成二年に税務調査を受けるまでまったく知らなかった旨供述するが、前項で認定した本件借名口座における取引の態様等からすると、以下に述べる理由により、被控訴人は、正規の口座である被控訴人口座及び初子口座以外に本件借名口座が控訴人に存在し、その口座で被控訴人の資金と計算による取引が行われていたことを十分に知っていたものと推認することができ、これに反する原審及び当審における被控訴人の供述は到底信用することができない。

(一)  前記認定事実によれば、本件借名口座における取引の資金は、被控訴人又は初子の関与なくしては引き出せない被控訴人口座、初子口座及び三和銀行口座から出金され、本件借名口座における取引で生じた売却代金及び信用取引の利益金の大部分は三和銀行口座に入金されている。被控訴人はこの多数回かつ多額にわたる入出金を当然知っていたと考えられるところ、被控訴人は、被控訴人口座及び初子口座の取引の内容については、控訴人から送付される売買報告書により内容を把握していたと解されるのであるから、それ以外の口座において被控訴人の資金と計算による取引が行われていたことを容易に知り得たはずである。仮に、被控訴人が売買被告書の内容を詳細には見ていなかったとしても、長年にわたる証券取引の経験を有する被控訴人が、口座からの出金や出庫の際に領収証等の交付や預り証の返還を要することなどの証券取引の仕組みを知らなかったはずはなく(現に被控訴人口座等の正規の口座からの出金には被控訴人又は初子の領収証を控訴人が交付していた。)、右領収証等の交付なくして前記のとおり本件借名口座から三和銀行口座への多数回かつ多額の金銭が移動していたことについて、疑問を抱かないはずはない。

これらの点について、被控訴人は、原審及び当審における本人尋問で、控訴人から送付された売買報告書はほとんど見ないまま捨てていたとか、領収証等の書類は植木から言われるままに署名押印をしていた等の供述をしているが、前記のとおり証券取引の経験が豊富で取引高も多額に上る被控訴人が、取引の内容を確認し、把握しようとしなかったとは思われず、右供述はにわかに信用することはできない。

(二)  本件借名口座における取引の中には、前記一4(二)のように、三和銀行口座口座から同日に二口の金員が引き出され、別々の小切手に組まれた上で被控訴人口座と本件借名口座に入金されているものがあるが、被控訴人口座に入金するだけなら、わざわざ二通の小切手に分ける必要はないのに被控訴人が植木にその理由を問い質した形跡もない。

右の点についても、被控訴人は、当審における本人尋問において、植木を全面的に信用していたので、言われるままに小切手を組んだものである旨の供述をしているが、具体的な金額の振り分けは植木の指示によるものとしても、二通の小切手に組む必要性についてなんらの疑問も抱かなかったというのは不自然であり、信用することができない。

(三) 被控訴人又は初子作成の領収証等である乙第四号証の一ないし一五の日付と領収証等の番号が一部整合しておらず、右領収証のうち乙第四号証の二とこれに対応する本田口座への入金の際の預り証である乙第五号証の二の日付に二七日間のずれがあることは事実であり、乙第二号証の三、第一六号証によれば、右のようなことが生じたのは、口座からの複数の出金の受渡清算を後日にまとめて行ったり、受渡清算に関する手続が実際の入金日より遅れたことによるものであることが認められるが、このように被控訴人からの領収証等の取得が後日まとめて行われたことがあったとしても、そのことから直ちに被控訴人が領収証等の内容も確認しないで署名押印したことが推認されるものではない。

(四) 被控訴人は、三和銀行口座から本件借名口座に対する入金は、すべて現金又は小切手で行われているが、三和銀行口座から被控訴人口座への入金は現金のほかに振込送金によるものが多数あり、このことは、本件借名口座への資金の移動が植木によって被控訴人に無断でされていたことを示すものである旨主張する。

そして、三和銀行口座から本件借名口座への入金がすべて現金又は小切手で行われていることは前記認定のとおりであり、甲第七号証によれば、三和銀行口座から被控訴人口座への入金は振込送金によるものが多数あることが認められる。

しかし、弁論の全趣旨によれば、控訴人においては、被控訴人名義で銀行送金がされた場合は、被控訴人口座に入金される扱いがされていることが認められ、三和銀行口座から本件借名口座に入金しようとすれば、現金又は小切手によらざるを得ないのであるから、本件借名口座への入金がすべて現金又は小切手によっていることは当然である。問題は、三和銀行口座からの出金が本件借名口座への入金のためにされたことを被控訴人が知っていたかどうかであり、前記認定の取引の態様からすれば、被控訴人は右事実を知っていたものと推認すべきである。

(五) 前記一4(三)のような被控訴人口座と本田口座間の株式の移動について、被控訴人は、被控訴人口座から株式が出庫され、被控訴人がこれを受領した後に、本件借名口座で右株式が売却されたとしても、被控訴人は、それが本件借名口座で売却されたことを知り得なかったのであるから、被控訴人口座と本件借名口座との間に株式の移動があるからといって、被控訴人が本件借名口座での取引を知っていたことにはならない旨主張するが、前記認定のとおり、本田口座での日本ステンレス株式の売却代金六七四六万九〇八五円は、内金五七〇〇万円が小切手により出金されて同日中に三和銀行口座に入金され、内金九九六万七五四三円が現金で被控訴人に引き渡されているところ、右各金員を本田口座から出金する際には、本田名義の受領証(乙第六号証の一四、一五)が作成されているが、被控訴人名義の領収書等は作成されていないのであり、仮に被控訴人が本件借名口座の存在を知らなかったとすれば、右のような多額の小切手又は現金を受領するのに、被控訴人口座の取引で通常要求される領収証等の作成を要しなかった点について疑問を抱くのが自然であり、そのような疑問もなく受領していることは、被控訴人が本件借名口座で右株式が売却されたことを知っていたものと考えざるを得ない。

右の点について、被控訴人は、当審における本人尋問において、右小切手及び現金を受領したことを認めながら、「お金をもらって株券を渡せば、それで商いは終わっている」から特におかしいと思わなかった旨供述しているが、右に述べたところに照らして、右供述は信用することができない。

(六) 被控訴人は、仮に被控訴人が本件借名口座における取引を知っていたとすれば、植木は、被控訴人口座と同様、被控訴人に右取引に関する領収証等に本田又は志摩名義での署名を求めたはずであるのに、本件借名口座の取引の領収証等を被控訴人が作成したことはまったくなく、すべて植木又はその部下等が署名していた旨主張する。そして、本件借名口座の取引の領収証等を植木又はその部下が作成していたことは既に認定したとおりであるが、一般的に証券取引において借名口座を使用する主要な目的は、証券取引によって生じた所得について脱税を図ることにあるから、被控訴人が本件借名口座の取引の領収証等を自ら署名していないことは、直ちに被控訴人が同口座の取引を知らなかった根拠にはならない。

2  他に、被控訴人が本件借名口座の存在及びその取引内容を知っていたとする前記認定を左右するに足りる証拠はない。

三  本件払戻金が被控訴人に引き渡されたかどうかかについて

前項で認定判断したとおり、被控訴人は、本件借名口座の存在及びその取引内容を知っていたと認められ、原審証人植木潤は、本件払戻金をすべて現金で被控訴人に主として自宅に持参し、ときに外で会った際に引き渡した旨の証言をしているところ、被控訴人が前記一4(三)の日本ステンレス株式の売却代金九九六万七五四三円を領収証を作成せずに現金で受領しているのは既に認定したとおりであり、また乙第二号証の四及び第一七号証の一及び弁論の全趣旨によれば、本田口座から昭和六二年六月一六日に松竹株式の信用取引の利益金等から一四八七万五八八八円が現金で払い戻されていながら、被控訴人が領収証を作成せずにこれを受領していることが認められる。これらの点に、被控訴人は、植木にとって長年にわたり多額の取引を依頼する顧客であったこと、本件借名口座からの払戻金はすべて被控訴人の領収証が作成されないで払い戻されているが、前記のとおりそのうちの大半が三和銀行口座に入金され、被控訴人が取得していること、右のような状況にあって植木が敢えて危険を冒して払戻金の一部のみを着服するということは容易に考え難く、これを積極的に認定することのできる証拠もないことなどを考慮すると、本件払戻金について被控訴人の領収証が存在しないことは被控訴人に本件払戻金が引渡されていないことを示すものとはいえず、むしろ、既に認定したところからすると、植木証言のとおり本件払戻金は、すべて被控訴人に引き渡されていたと認めるのが相当である(なお、本件払戻金の中には受渡日前に払い戻されたものが相当であることは確かであるが、他方、受渡日以降に払い戻されたものもあり、右払戻時期の点のみから本件払戻金の異質性、異様性を根拠付けるのも困難である。)。

右認定に反する原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果及び甲第一五号証(被控訴人作成の陳述書)の記載内容は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

第五  結論

以上によれば、本件払戻金を植木が着服し、被控訴人に引き渡していないことを前提に、本件払戻金から損失を控除した残金の引渡若しくは返還又は同相当額の損額賠償を求める被控訴人の請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないから棄却すべきである。

よって、原判決中、控訴人敗訴部分を取り消した上、同取消部分にかかる被控訴人の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官大島崇志 裁判官寺尾洋)

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